
小宮悦造教授
(明治19年ー昭和48年)

長村重之教授
(大正4年ー平成6年)

外山圭助教授

第一内科・同門会会長
静 雅彦 (仁静堂医院院長)
事務局
井口 祐三(八王子山王病院院長)
同門会の最近の活動は
「Web版一寸法師」をごらんください。 |
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内科学第一講座の歴史
東京医科大学内科学第一講座の歴史は本学の内科学教室の歴史であるとともに、近代臨床血液学の歴史でもあります。東京医科大学七十年史(編集;東京医科大学七十年史編集員会、平成元年発行)によると「新しい内科学第一講座は緒方知三郎理事長兼学長の要請により小宮悦造教授が国立熊本病院長より本学の内科学教授に着任された昭和23年2月に始まる」とあります。
その後、長村重之教授(昭和31年ー昭和61年)、外山圭助教授(昭和61年ー平成10年)、大屋敷一馬教授(平成11年ー現在)と血液学の伝統は継承されてました。このように内科学第一講座は開講以来61年という長い歴史がありますが、血液学に対する真摯な研究心、患者様に対する誠実な診療態度は「血液内科の魂」として脈々と受け継がれております。
内科学第一講座開講以前
本学の血液内科の歴史において特記すべきことは大正八年岩男督教授が順天堂医院より専任教授として就任されたことです。岩男教授は、研究に対する周囲の関心も薄く研究設備もきわめて不良な時代にもかかわらず、鉄代謝、血液疾患の病理学的研究など広範に血液学の研究をされました。また岩男教授は心電図をはじめとして内科学全般にわたる著書が多いことで知られています。そして、昭和23年には第10回日本血液学会を主催されました。すなわち本学における血液学研究の伝統は岩男内科から発するともいえます。
小宮内科時代(昭和23年ー昭和37年)
昭和23年に小宮悦造先生が内科学教授として着任され、ここから新しい内科学第一講座の歴史が始まります。小宮先生の世界的な業績については既にご存知と思いますが、小宮先生のもっとも偉大な功績は世界に先駆けて造血因子の存在を想定し、これにエリスロポチン、ロイコポエチン、トロンボポエチンなどの名称をつけることを提唱されたことです。
「小宮悦造;造血促進物質ノ命名ニ就テ. 熊本医会誌 12:2355, 1936) 」
エリスロポエチンの名称は1948年にBonsdorffとJalavistoが命名したという説が流布していますが、本当はその12年も前に小宮先生が命名しておられたのです。
昭和37年に発行された「小宮悦像教授業績目録」に大正3年からの801編にわたる研究のご成果が収載されておりますが、活版印刷で作られた厚さ7mmほどの業績集には血液学への情熱があふれており、小宮内科の教室の熱気が伝わってくるように感じられます。 小宮内科の研究は
(1) 血液検査法に関するもの
(2)血球および造血器の形態ならびに機能に関するもの
(3)循環血液量に関するもの
(4)血球の神経調節に関するもの
(5)血液病の臨床問題に関するもの
に大別されますが、珠玉の論文の中に、後に本学の教授になられた勝沼英宇先生, 梅原千治先生、伊藤健次郎先生, 伊藤久雄先生, 大隅 彰先生のお名前を見出すことができます。

長村内科時代(昭和31年ー昭和61年)
長村重之先生は昭和30年9月に助教授として東京医科大学内科学第一講座に着任されました。そして昭和31年に教授となられ小宮教授とともに第一講座を担当されました。この間、昭和31年10月小宮教授は東京医科大学学長となられ、昭和37年定年退職されましたので、事実上長村内科の始まりは昭和37年ということになります。長村教授は当時の心情を血液学という大海に漕ぎ出す小さな舟人にたとえて「一寸法師」という小冊子を発刊されました。長村内科はその後先生が昭和61年に定年退職されるまで29年有余続きますが、この一寸法師の心は血液内科を志す者にとって時代を超えて受け継がれています。
昭和37年より長村教授は米国テキサス州ダラス市ベイラー大学付属血液研究所(現在のワドレー分子医学研究所)に留学しJ.M.ヒル博士の知遇と指導を受け白血病細胞の染色体分析の研究を行われました。その後同研究所には大隅 彰先生、安達満雄先生、岡啓嗣郎先生、若杉和倫先生、青田文雄先生が留学され、カンザス大学のライスマン教授のところには伊藤健次郎先生が留学されました。
長村教授は8回日本臨床血液学会総会の会長となられ「血液と染色体異常」のシンポジウムを司会され多大の成果をあげられました。教室の研究は血液学の広い分野にまたがり、実に66名の学位論文を指導されました。また、日本大学天木一太先生、慶應義塾大学の長谷川弥人先生とご一緒に日本臨床血液学会の編集を長年にわたって担当されました。
外山内科時代(昭和61年ー平成10年)
昭和61年4月 新病院オープンと同時に慶應義塾大学病院から外山圭助教授が就任されました。外山圭助教授は昭和63年より米国ボストンのタフツ大学に留学され、当時Bloodの主編集者であったダムシェック博士に師事し、エリスロポエチン産生腫瘍を始めとする赤血球造血の国内外の第一人者でした。
外山先生は国際実験血液学会や米国血液学会に毎年参加され、血液内科でも国外留学を含めた国際交流が盛んになり、この伝統は今でも続いております。また、新病院で骨髄移植チームを立ち上げ、その成果が今日の東京医科大学病院血液内科の礎となりました。
平成6年第36回日本臨床血液学会を主催され、「骨髄異形成症候群」についての会長講演は教室員の研究の成果が集約された歴史に残る名講演となりました。小宮内科時代、長村内科時代と大きく異なる点は分子生物学の急激な進歩によって血液病の本態が遺伝子レベルでわかるようになってきたことです。また免疫学的手法の進歩も著しく、研究の主体は遺伝子・染色体解析や免疫動態と疾患の関係になりました。 
これからの血液内科
平成11年 大屋敷一馬教授が就任され、内科学第一講座は新しい一歩を踏み出しました。
振り返ってみますと、小宮内科、長村内科と研究のテーマであったエリスロポエチンは現在では治療薬として使われておりますし、ダムシェック博士が提唱した「骨髄増殖性疾患」は現在ではJAK2-V617Fの変異によるチロシンキナーゼの恒常的リン酸化が原因であることが明らかになりました。また、分子標的薬グリベックの出現は慢性骨髄性白血病の治療を一変させました。
東京医科大学病院 血液内科は平成20年度には厚生労働省・再生医療推進基盤整備事業に選定され、造血器を含む幹細胞移植療法に積極的に取り組んでいます。さらにiPS細胞を用いたヒト間葉系幹細胞(human
mesenchymal stem cells)の開発による移殖片対宿主病(GvHD)の克服に向けた研究を立ち上げました。副都心である立地条件を生かし、都内の移植医療施設との連携によるiPSを用いたヒト間葉系幹細胞の提供(分子病理学講座の黒田 雅彦教授との共同研究)が可能となる施設整備(細胞治療センター)が進んでおります。平成21年4月には国内外の細胞治療の第一人者である高上 洋一先生(国立がんセンター)が客員教授として着任され、新しい時代の細胞治療を目指しています。
新しい時代に向けて教室の益々の発展を期待しております。
参考文献
「東京医科大学七十年史」 編集:東京医科大学七十年史編集委員会 平成1年12月22日発行
「小宮悦造教授業績目録」 編集:東京医科大学内科学教室 昭和38年4月21日発行
「長村重之教授古希退任記念業績集」 編集:東京医科大学内科学第一講座 昭和61年12月発行
「外山圭助教授退任記念 東京医科大学内科学第一講座業績集」 編集:東京医科大学内科学第一講座 平成10年9月発行
「日本血液学の建設者」 柴田 昭 著 平成17年7月発行
監修 大隅 彰
文責 大屋敷 純子
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