1. 遺伝子情報発現 特に、転写伸長反応の制御機構の解明

我々はゲノムからの情報発現、特に転写伸長反応の制御メカニズムについて研究してきました。ヒトはタンパク質をコードする遺伝子を2万数千個持っています。これら生物を構成するパーツ1つ1つの機能を明らかにすることは、生命を理解する、という研究のゴールに向けた重要な里程標であり、現代の多くの生命科学者が取り組んでいるところです。我々は、この2万点余りのパーツを体のどの部分で、いつ、どれくらい作るか、という生物の根幹に関わる決定を担う分子装置について研究を行っています。

転写のような複雑な生命現象を理解する上で、低分子化合物である阻害剤は有効なツールとなり得ることを見出したので、ここに紹介します。その前に、それに至った経緯を簡単に述べます。まず、特異塩基配列を含むDNAを我々が独自に開発したSG/FGビーズに固定化し、それにより、ATF/ CREB転写因子ファミリーの8つの全メンバーを細胞核粗抽出液から直にアフィニティ精製できます。しかも、p300と呼ばれるメディエーターやタンパク質キナーゼが、転写因子と共に分離されることを見出したことから、キナーゼ活性が転写因子によってプロモータ上にリクルートされ、転写に何らか関与しているかも知れないと憶測しました。そこで、そのキナーゼ活性の阻害剤を探索し、DRBと呼ばれるアデノシン誘導体を見出しました。

これがDRBとの初めての出会いです。当時、DRBはタンパク質キナーゼP-TEFbの阻害と転写阻害の両方の活性を持つことが知られていましたが、両活性の間の関係はわかりませんでした。そこで、我々は転写の分子機構を解明するために、DRBという転写阻害剤/タンパク質キナーゼ阻害剤を用いました。そしてDRBが転写を阻害するメカニズムの解析を通じて、転写制御のまったく新しいメカニズムを発見するに至りました。これを契機に、ケミカルバイオロジーの重要性を身にしみて認識し、この分野の研究に足を突っ込むことに成ってしまいました。これに関しては、「3.ケミカルジェネティクス/ケミカルバイオロジーに詳しく紹介しています。

転写、すなわちmRNA前駆体の合成反応は、開始前、開始、伸長、終結という4つの段階から構成されています。我々がDRBによる転写阻害機構の研究をスタートさせた頃は、開始前段階こそが複雑に調節され、遺伝子発言制御に最も重要だと考えらえれていたのです。しかし、以下で説明するように、転写伸長段階もまた極めて複雑にダイナミックに制御されていることが、我々の研究を通じてあきらかとなり、その重要性は現在では広く認知されています。そこで、以下に我々が世界に先駆けて解き明かしたmRNA合成速度のダイナミックな制御を概説します。

我々は、まず、DRBが伸長段階でRNAポリメラーゼTT(PolTT)の一時停止(伸長停止)を誘導することによって転写を阻害することを見出しました(総説:Yamaguchi et al.,Genes Cells. 1998)。そして、この伸長停止を直接引き起こす因子として我々は、”DSIF”と”NELF”というタンパク質因子(転写伸長因子)をin vitro転写系およびその再構成系により発見しました(Wada et al.,Genes Dev.,1998;Yamaguchi et al.,Cell,1999)。DSIFはPol TTと直接結合し、そこにさらにRNA結合活性を持つNELFが結合することで、PolTTのmRNA合成反応が一時的に阻害されます(Yamaguchi et al.,J.Biol.Chem.,1999;Yamaguchi et al.,Mol. Cell.Biol.,2002)。一時的ということは、mRNA合成を一旦停止したPol TTがmRNAを再開できると云うことです。PolTTに直接結合して、mRNA合成を阻害する因子DSIFとNELFの発見は世界ではじめてのことで、それら因子の結合により、PolTTは転写開始点(+1)から+30〜+50の下流部位で伸長停止します。この成果は、熱ショック遺伝子などこれまで云われてきたプロモータ近位の停止(promoter proximal pausing )と同一であることが近年あきらかになり、そのメカニズム解明に大いに貢献することができました。

DSIFとNELFによるPolTTの伸長停止は、アイオワ大学のD.Price教授が同定したP-TEFbというタンパク質キナーゼによって解除されることも我々は見出しました。(Wada et al.,EMBO J.,1998)。P-TEFbはPolTTのC端末ドメイン(CTD)と呼ばれる特殊な繰り返し構造をリン酸化することによって、PolTT/DSIF/NELFから成る複合体からNELFが解離され、それによって転写の伸長停止が解除され、転写が再開されます(Yamaguchi et al.,Cell,1999)。また、我々は伸長停止の解除がP-TEFbだけでは不十分であり、FACTとTFTTHという他のタンパク質因子が関与することを明らかにしました(Wada et al.,Mol.Cell,2000)。この場合、TFTTHはそのキナーゼ活性ではなく、ヘリカーゼ活性が重要であることを示しました。さらに、伸長停止の解除に伴って、hSpt6というタンパク質因子がPolTT上にリクルートされ、PolTTのmRNA合成活性を亢進することも見出しました(Endou et al.,Mol.Cell.Biol.,2004)。

真核生物における転写は、開始段階と伸長段階での伸長停止という二つの段階で巧妙に制御されていることが我々の研究によって分かってきました。つまり、転写には交通信号機が二つあり、それら二つで緻密に制御されていると云うことです。開始段階における一番目の信号機でmRNA合成量が大まかに決められ、伸長段階での二番目の信号機でmRNA合成量が的確に制御されると云うものです。これは、発生や細胞分化段階において外部刺激により誘導発現される遺伝子の殆どすべての発現は、プロモータ上の開始複合体の形成頻度(開始段階)と、伸長停止の解除頻度(伸長段階)との二つの段階で制御されています。その結果、開始頻度が亢進され過ぎても、伸長停止段階における解除頻度によってmRNA合成量が的確に調節され、最適な量が合成されることになります。この二段階制御は、特定遺伝子の”時間的・空間的”な発現調節に極めて重要でかつ高度な制御機構であることも見出しました(Aida et al.,Mol.Cell.Biol.,2006)。大事な生命現象に関わる殆どすべての遺伝子の発現は転写開始頻度よりも、むしろ伸長停止とその解除による調節によって、mRNA合成量が多過ぎもせず少な過ぎもせず、適量を合成する非常に高度な制御機構と云えます。ちなみに、このような制御は下等生物には見られず、高等生物でしか存在しません。

また、DSIFには転写伸長をNELFと協調して抑制するだけでなく、伸長活性を促進する働きもあり、転写伸長反応を正(アクセル)と負(ブレーキ)の両方に制御できるユニークな因子だということを明らかにしました。促進活性については未だよく分かっていませんでしたが、最近我々は、DSIFのブレーキ因子からアクセル因子への機能切り換えに、P-REFbによるDSIFのリン酸化が関与することを発見しました(Yamada et al.,Mol.Cell,2006)。このリン酸化は〜2,400Kbもあるジストロフィン遺伝子のような大きなサイズの転写には不可欠であると考えられます。また、興味深いことに、P-TEFbによってリン酸化されるDSIFの配列は、PolTTのCTDに類似した5つのアミノ酸配列の繰り返し構造をしており、我々はこれをC末端領域(CTR)と名付けました。

これまでは、主に試験管内でのcell free系で、生化学や分子生物学を駆使して得られた研究成果ですが、生物固体や培養細胞レベルでの知見もいくつか得られてきて、転写伸長制御に関わるDSIFやNELFが果たす生物学的な重要性について、以下のような研究成果がこれまでに我々自身および共同研究によって得られています。

(1)発生、分化段階における役割
 DSIFのアクセ活性は正常で、ブレーキ活性のみが損なわれた点変異を持つゼブラフィッシュは、神経細胞の分化に異常をきたし、ドーパミン作動性ニューロンの数が減少し、代償的にセロトニン作動性ニューロン数が増加することを我々は見出しました(Guo et al.,Nature,2000)。これはDSIFが神経緘幹細胞の分化調節にも関与することを示すものです。また、ショウジョウバエにおける同様の変異がDSIFに起こると、体節形成に異常を来たすことが分かりました(Jennings et al.,Curr.Biol.,2004)。

(2)多様な刺激応答性の遺伝子発現における役割
 外部刺激に応答して迅速に誘導発現される多くの遺伝子、例えば熱ショック応答性遺伝子、炎症性サイトカイン応答性遺伝子、性ホルモン応答性遺伝子、増殖刺激応答性遺伝子などが転写伸長段階での一時停止により制御を受けており、刺激前からプロモータ近位にPolTTが停止状態にあって、刺激後速やかに反応して転写が再開されることを我々は明らかにしました(Wu et al.,Genes Dev.,2003; Ainbinder et al.,Mol.Cell.Biol.,2004; Aiyar et al.,Genes Dev.,2004; Yamada et al.,Mol. Cell,2006; Aida et al., Mol.Cell. Biol.,2006)。

(3)病原性ウィルスの増殖における役割
 ヒト免疫不全ウィルス(HIV)の潜伏感染時、HIVのプロモーター近傍ではPolTTが一時停止していますが、これはDSIFとNELFにより停止が引き起こされます(Kim et al.,Mol.Cell.Biol.,1999; Yamaguchi et al.,Microbes Infect.,2002)。HIVにコードされるTatタンパク質はP-TEFbをHIVのプロモータ近傍にリクルートし、一時停止しているPolTTのCTDのリン酸化を誘導して、mRNA合成を再開・促進します。
 また、D型肝炎ウイルスにコードされるデルタ抗原は、NELFと競合的にPolTTに結合し、PolTTの転写伸長活性を促進することにより、HDVのmRNA合成を促進します(Yamaguchi et al.,Science,2001)。このメカニズムは大変興味ある所で、ウイルスタンパク質の中でPolTTに直接作用して、転写伸長活性を促進するのは、これまで報告例がなく、我々の見出したデルタ抗原が初めてです。

(4)mRNAプロセシングにおける役割
DSIFがmRNAのキャッピング酵素の活性を亢進することを見出しました(Mandel et al.,Proc.Natl.Acad.Sci.USA,2004)。また、ヒストン遺伝子のmRNA前駆体は、キャップ構造を5’末端に持つが、ポリAの無いステムループ構造を3’末端に持ち、特殊な3’末端プロセシングを受けます。我々は、そのプロセシングにNELFとmRNAのキャップ結合因子CBCが関与することを見出しました(Narita et al.,Mol.Cell,2007)。スプライシングなどのmRNAのプロセシング反応は転写後に起こるものと従来考えられていましたが、最近それらが転写と時空間的に密接に共役しておこっていることが分かってきました。さらに、我々のこの研究から、転写伸長因子は転写伸長だけでなくmRNAプロセシングの制御にも関与していることが分かりました。また、NELFとCBCによるヒストンmRNAの3’末端プロセッシングは、細胞周期S期におけるヒストンmRNAと、ヒストンタンパク質の特異的な量産に重要な役割を果たしていることがわかりました。

(5)エピジェネティック制御への関与
DSIFと相互作用してPolTTの転写活性を亢進する因子としてTat-SF1とPaf1複合体を見出しました(Chen et al.,Genes Dev.,2009)。DSIFはTat-SF1とPaf1複合体を遺伝子上にリクルートする働きがあり、3者が協調的にPolTTと結合します。Paf1複合体は比すトンの化学修飾の一つであるH2BのK120のモノユビキチン化に関与し、伸長段階におけるPolTTの活性化に関わることを明らかにしています。

我々は、他にゼブラフィッシュやマウスなどを用いた固体レベルの研究も進めており、高等真核生物における転写伸長制御の包括的な理解を目指しています。

この研究分野は従来ほとんど未開拓であり、過去10年にわたって我々が世界に先駆けて独自に切り拓いてきました。今後もこの転写開始から終結に至るまでのDNA軸に沿ったPolTTホロ酵素のダイナミックなリモデリングという研究テーマを深く掘り下げていくつもりです。

なお、最近この研究動向を分かりやすく紹介した書籍として、「転写がわかる」(半田宏編、羊土社、2002年)、「転写研究集中マスター」(半田宏、和田篤忠志、山口雄輝共編、羊土社、2005年)や「転写因子による生命現象解明の最前線」(山口ら分担執筆、羊土社、2007年)などがあります。